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SURYA NAMASKARA

PREFACE

シュリ・K・パタビジョイス 著「スリアナマスカーラ」より引用

この小さなスリアナマスカラのブックレットは、3つの章によって構成されて います。

● シュリKパッタビジョイス(グルジ)による、精神的鍛錬としてのスリア ナマスカラに関する基礎哲学。

● グルジの著書Yoga Malaから抜粋したスリアナマスカラの練習方法、及び 身体への恩恵。 

● ヴェーダ的、プラナ的、マントラ的側面のスリアナマスカラの練習方法に ついて、グルジへのインタビュー。

スリアナマスカラは、ヨガの全ての実践方法の基礎となるものです。そして私達が皆知っている通り、基礎がしっかりとしていれば、それにより支えられる いかなる物事も同じく安定します。

よって、先ずはスリアナマスカラを正しく習練し、その内的意味を理解することで、その後のアサナ、プラナヤマ、その他全ての練習から得られる結果が有用で有益なものとなります。

ヨガを練習すること、その全体像は内面浄化への深い学びであり、実践者を jivatmaー内的自己と paramatmaー宇宙的自己 に差異が無いという悟りへと徐々に導きます。これを実現させるには練習するにあたって、正しい意志とエネルギーの方向を確立せねばなりません。

サンスクリットではこれをbhavanaと呼んでいます。bhavanaが無い限りヨガの恩恵である =融合= を練習から得る事は 出来ないとグルジは言っています。 bhavanaは、bhuという言葉を起源とし、至極シンプルに訳せば – 存在する、〜になる- という意味になります。よって、人がその存在そのものになりたいとすれば、つまり=内的自己と宇宙的自己の融合= 正しいbhavanaを心から受け入いれ、自身に取り入れることが先決となります。

このブックレットを刊行するにあたり、スリアナマスカラを実践する全ての練習生が、その内なる意味への適切な理解を以て行うことを、グルジは望んでいます。練習が持つ内なる意味と実践方法への正確な理解、それを正しく身につける為には、最初の段階から努力せねばなりません。そうすることにより、健 康、マインドの明晰さ、精神性の向上を成し得るのです。

このブックレットがその手助けとなり、練習を束の間の肉体的な芸当と誤解す る事が無いよう、全ての練習生を正しい方向へと導く一助となれば幸いです。

 

AN INTRODUCTION TO THE SURYA NAMASKARA

スリアナマスカラとは

古き時代、ヨガとは賢人とヨガ行者のみが行うものとされていました。つまり、 俗世を捨てた人々。こういった一般的印象により、ヨガは当時のインド社会に おいて広く受け入れられる事はありませんでした。

しかしながらヨガは、生きる道、そして哲学として、望む者なら誰でも実践す ることができます。なぜなら、ヨガとは全ての人々に与えられたものだからで す。ヨガは特定のグループや個人の財産ではなく、地位や信仰、宗教に関わら ず、世界中のいかなる人でも行う事ができるのです。

スリアナマスカラもその起源は古く、ヨガの英知の礎たる役割を担っています。 スリアナマスカラ、即ち太陽礼拝は、マインドの強さを一方向に保ち、精神集 中を促すため、ヨガの練習において必要不可欠です。古の書物にもあるように、 精神の状態を適切に保たなければ、ヨガの様々な段階に身体を強いる事は出来 ず、練習生は怪我を避けられる確信を持てません。

ヒンズーの古い書物は、太陽礼拝は太陽神スリヤに捧げるもので、これはシヴ ァ神に沐浴を捧げる事や、ビシュヌ神に装飾を捧げる事と同等であると説いて います。スリヤは、肉体と精神の健康を司る世界の中心として捉えられ、Puranas (古文書)によれば、スリヤへの信心の達成にはスリアナマスカラ—長期の健康 と精神的平和をもたらす—が最も良いとされています。 ヨガのポーズはそれぞれ神を内包し、その数は72,000に及ぶとされます。それ ら全ての神に敬意を表する前に、ヨガ練習生は先ずはスリヤに礼拝を捧げる事から始めなければなりません。なぜなら、スリヤは万神の宿る祭殿を包括して いると信じられているからです。 より広い話になりますが、太陽神を世界の中心的存在と捉えるにあたり、朝の 光、午後、そして夕暮れ時と、一日に三度の祈りが必要とされます。これはブラフマンの儀式、sandhya vandana として知られており、地球上全てのものに 生と魂を授けるスリヤへの感謝を、精神と心の両方で思い起こす機会とされて います。そういった神への感謝は、身体が清くてもそうでなくても行うべきで あると、古い書物に記されており、ヴェーダ・マントラはこのように説きます; 全知全能の神を信ずる物は身体の内外を自ら清める事ができる。と、ブラフマ ンは己の身体の内側をsandhya vandana の儀式によって清める事ができ、同様 に、全ての人がスリアナマスカラによって自己を清める事が出来るのです。

結論として、いかなるアサナも太陽への礼拝無しには完成しません。太陽礼拝 による精神エネルギーへの集中が無ければ、ヨガの練習はちょっとした体操程度のものとなり、その意味と恩恵は失われます。スリアナマスカラを、その後のアサナの準備体操のように考えるのも間違いです。ゆえに、太陽礼拝を始める前には、スリヤに祈りを捧げることが必要です。” 健全な思考だけを、良い言葉だけを聞き話す事を、健康で強い身体を授けたま え。それにより、長く生きられますように。そしていつか、神との統合が達せ られますように “

この小さなブックレットは、スリアナマスカラの持つ精神面と哲学面の重要性 を説き、正しい練習によりもたらされる恩恵は完全且つ決定的であることを示 す目的で発刊に至りました。

シュリK パッタビジョイス 2004年2月22日

 

SURYA NAMASUKARA

スリアナマスカラは遥か古より伝えられ、人生に素晴らしさと至福を与えるものとされてきました。これを実践することにより、人は生きる喜びや幸せ、満足感を得て、加齢や死への屈服を避ける事が出来るのです。 しかしながら昨今では、人々は先人が築いた伝統や習慣を学ぶ事無く自己の感 覚器へのコントロールを失い、快楽にふけ、カタチあるものだけに価値を見出す事で精神的な力を打ち壊しています。目に見えないという理由で真実を否定し、人生は哀れなものとなり、病や貧困、死に支配されてしまうのです。もしも、人々が先人の伝統を受け継いだなら、健全な身体と精神を育み、そうすることで自己のなんたるかについて悟りを得る事が出来るでしょう。経典もこのよ うに述べています。”強さを欠いた者は自己を得ることが出来ない”  鍛えられた身体、感覚器、そして精神によって、人はより健康で高貴な存在となり、長寿を得て賢明になり、永遠の精神的自由を獲得する。よって、もし健康で高貴かつ知的な人生を送りたければ、先人の伝統を忘れてはならない。

第一の義務は身体を大切にすること、それこそが精神的生活を探求する手段  “   という賢人の教訓に従い、先人達は身体の健康に大きな意味を見出しました。 その意味とは、経典の教えに逆らわず、常に同調するということ。そしてそれは、スリアナマスカラとヨガ支則を通じてのみ成し得るのだと、彼等は知っていたのです。そこで彼等はヨガの知恵を学び、実践し、それに喜びを見出しました。インドの何処でも、様々な階級の人々がヨガスートラに記さ れているスリアナマスカラを実践し、それを正しい行動と感じて日課とし ていました。彼等は太陽神の恵みは健康に必要不可欠だと知っていたのです。もしもこの言い伝え”太陽に健康を望みなさい”  を信じるなら、太陽神に祝福された者は健康な人生を送る事は明白です。ゆえに、健康=何よ りも素晴らしい財産を望むのであれば、先ずは太陽神からの祝福を求めね ばなりません。

祝福を得る為には、精神的ルールに従ってスリアナマスカラを行う必要が あります。様々な様式があるなかでも、太陽に捧げる儀式は最も重要とされる Namaskara の様式で行います。経典にこのような言葉があります。”Namaskara は太陽に愛されしもの  “ゆえに,スリアナマスカラは変則的な様式ではなく、sastra(経典)に記 述されている様式で行わねばなりません。正統なルールに従って行われる Namaskara のみにより、健康を司る神・太陽は微笑み、私達に活力を与 え、護りを授けてくれるのです。つまり、健康を願うのであれば、sastra に記述された内容をおろそかにする事なくスリアナマスカラを行うべき なのです。

sastra とは何か?    sastra は鈍った精神にすらも、マントラの意味を簡単に理解させることが出来る(書物)とされています。数ある sastra の中でも、太陽神へのマントラの重要性を説いたものは、その崇拝と祈りについてこの ように記しています ” 神よ、犠牲に従事する我らの耳に幸運をお聞かせください 。目に幸運をお見せください “ このマントラが述べているのは、感覚を強くする事により、感覚が向けられる全ての事象から神性を見出すということです。これは単純に心身や精神の強さ、無を欲したマントラではなく、内なる幸福や究極的な輪廻からの解脱を求めたものです。もしそのような幸福が得られるとすれば、病んだ者ではなく健康な者のみにその可能性があります。よって、健康にな るために、経典の教えに従った方法でスリアナマスカラを行う事が必要な のです。

スリアナマスカラについて、様々な人により数々の練習様式が紹介されて います。その何が正解であるかと断定する事は出来ませんが、ヨガの英知 に則った場合、スリアナマスカラの伝統様式はビンヤサ、つまり息を吐く動作 rechaka(レーチャカ)と吸う動作 puraka(プーラカ)、そして瞑想 という、呼吸と動きを合わせたものが主となります。ヨガスートラは、この様式は以下の要素を含めたものと言っています;ビンヤサ、レーチャカ とプーラカ、dhyana(ディヤナ=瞑想)、drsti(ドリシュティ=目線)、 そして bandha(バンダ=筋肉の収縮またはロック)。これらはスリアナ マスカラを学ぶうえで従うべき要素であると、ヨギー達は経験に基づいて 明言しています。これに従う事なく太陽礼拝を行ったとしても、それはただの運動程度のものとなり、本来のスリアナマスカラではなくなってしまいます。 スリアナマスカラには2つの種類が存在します。最初のものは9、次は1 7のビンヤサで構成されています。ビンヤサ、レーチャカ/プーラカ-, バンダ、瞑想、ドリシュティ(目線)は、我流ではなく経験あるグル(先生) から学ばねばなりません。逆に言うと、ヨガを志す者が経典に示された道 に従い、ヨガスートラに精通し且つ実行しているグルから手ほどきを受けつつ実践すれば、病に打ち勝ち健康な人生を送る事が出来るのです。

精神的な病に効く薬は無い、という共通見解があります。しかし srutis(ヴ ェーダの教えの1つ)は、スリアナマスカラは精神疾患をも治す事が出きると言っています。このようなマントラがあります。”太陽よ、心と精神の 不健康を取り除き賜え”  ここで言われている意味を考えれば、prarabdha カルマ(現世に影響する過去の業)により発生する精神疾患や病すらも、 スリアナマスカラにより打破出来るという事がわかります。先人達はマン トラを良く学び、その意味を理解し それを実践しました。その結果とし て、健康で長い人生を送り、強い身体と知性を育み、病や死、貧困に苛ま れる事なく神聖な知識と幸福、永遠の満足感に恵まれたのです。

このように、経典に従った方法でスリアナマスカラを行えば、ハンセン病 やてんかん、黄疸などの殆どの大病をも癒す事が出来ます。この事につい て疑いは無用です。ハンセン病患者の中には、数年に渡る医学的治療にも 関わらず病状が良くならない人達がいます。しかしながら、5ヶ月から6ヶ月スリアナマスカラとアサナ、プラナヤマを実践することで、彼等は病 から回復しました。これは、私の経験に基づいた話です。つまり、ヨガと スリアナマスカラを実践すれば、いかなる病の犠牲にもならずに済むので す。ゆえに、ヨガを志す者は練習を続ける事で全ての恐れや疑念を拭い去る事が出来るのです。

長時間一カ所で座って、または立って仕事をする人の中には、関節痛を経験し、座ったり歩いたりする事が困難になることがあります。彼等はあら ゆる医学的治療を試し、無用に苦しい人生を送ります。しかし、彼等の苦 しみは、スリアナマスカラで確実に癒す事ができるのです。ヨギーはそのような苦しみの原因を nadi に見出します。全ての素晴らしい活動の基礎 たる身体を、病などの障害を極力受けずに純粋に保つには、スリアナマスカラとアサナがとても重要で、特に現代社会においては、全ての老若男女 に必要不可欠です。もしも人々がこのことに気付いて実践し、その伝統を 家族に伝えることが出来れば、この聖なるインドの大地は再び新鮮なエネ ルギーに満ち溢れると、誇りを持って断言できます。更にもしも政府がこ の英知を理解し、アサナとスリアナマスカラの実践、そしてその伝統につ いて全ての学生に必修させれば、それを通じて彼等の人生はより純粋なも のとなり、ひいては世界への偉大な力添えとなるでしょう。母なるインド は、それを喜ぶに違いありません。よって我々は、ヴェーダ文化によって 受け継がれてきたヨガの英知という聖なる光の松明を掲げ、その炎を永遠 に絶やしてはなりません。  

METHOD FOR DOING THE FIRST SURYA NAMASKARA

スリアナマスカラ A の実践

スリアナマスカラ A には、9つのビンヤサが含まれます。 Samasthitih-Nasagra Dristi 先ず、足の親指とかかとが触れるように両足を揃えます。胸を押し上げ、アゴ を少し引き、真っ直ぐに立ちます。目線は鼻先です。この状態を、直線的に立 つことを意味する、samasthitih と呼びます。

1st Vinyasa -Angustagra Dristi- Puraka 鼻からゆっくりと息を吸いながら(プーラカ)、腕を頭の上に真っ直ぐに伸ばし手 を合わせます。頭を少し後方にもたげ、指先に目線を定めます。

2nd Vinyasa -Nasagra Dristi- Recaka 次にゆっくりと鼻から息を吐きながら(レーチャカ)、両足の側面にそえるよ う床に両手をつきます。膝を真っ直ぐに伸ばし、ゆっくりと膝と鼻をつけます。

3rd Vinyasa -Nasagra Dristi- Puraka 息を吸いながら頭だけを上げます。

4th Vinyasa-Nasagra Dristi- Recaka 次に息を吐きながら両手を真っ直ぐに床に押し、手の力だけを用いて足を後方 にジャンプします。そして両手と両つま先のみで身体を真っ直ぐに支えます。

5th Vinyasa-Nasagra Dristi- Puraka 吸う息と共に、両腕の強さで胸を前方に押し上げ、頭を持ち上げます。腰を反 り、太ももと膝を床に着ける事無く腕を真っ直ぐに伸ばします。両足は間隔を 開け、つま先は真っ直ぐに伸ばし床を押します。

*全てのビンヤサにおいて、身体を締めてブレが無い状態に保ちます。

6th Vinyasa –Nabhicakra Dristi- Recaka 次に息を吐きながら腰を持ち上げ、頭は胸側に向けて傾け、かかとで床を押し ます。お腹を完全に引き込んで、この状態を保ちます。目線はおへそです。

7th Vinyasa –Nasagra Dristi- Puraka 7番目のビンヤサは、3番目と同様です。6番目のビンヤサの後、息を吸いな がら足を両手の間にジャンプします。両足を揃えた状態で床をしっかり踏み、 膝を伸ばします。

8th Vinyasa –Nasagra Dristi- Recaka 2番目のビンヤサと同様です。

9th Vinyasa –Nasagra Dristi- Puraka 最初のビンヤサと同様です。

直立して Samasthitih。目線は鼻先です。

以上がスリアナマスカラ A の練習方法です。これはマントラを唱えながら行う ことが多く、瞑想することが重要です。そしてドリシュティ(目線)も同じく 重要で、スリアナマスカラ A は、以下を含みます; Samasthitih、2、3、4、5、7、8番目のビンヤサは Nasagra (鼻先)、 1番目と9番目は Angustagra(手の(親)指先)、6番目は Nabhicakra(おへそ)

加えて、偶数番のビンヤサはレーチャカ(吐く呼吸)、奇数番はプーラカ(吸 う呼吸)となり、この先のビンヤサとアサナ全体を通して、レーチャカとプー ラカを同じように行います。これは、辛抱強くきちんと学ばなければなりませ ん。

METHOD FOR DOING THE SECOND SURYA NAMASKARA

スリアナマスカラ B の実践

スリアナマスカラ B には17のビンヤサが含まれ、レーチャカとプーラカにつ いては、スリアナマスカラ A と同様です。

Samasthitih –Nasagra Dristi-

1st Vinyasa -Angustagra Dristi- Puraka 鼻から息を吸い、膝を合わせて曲げ、胸を持ち上げて腕を頭上に伸ばし、両手 を合わせます。頭を少し後方にもたげ、目線を指先に定めます。

2nd  Vinyasa –Nasagra Dristi- Recaka 次に、息を吐きながら脚を真っ直ぐに伸ばし(膝は曲げない)、両足の側面に 手をついて床を押し、鼻と膝をつけます。

3rd Vinyasa –Nasagra Dristi- Puraka 息を吸いながら背中を真っ直ぐにして頭だけを上げます。

4th Vinyasa –Nasagra Dristi- Recaka ゆっくりと息を吐きながらジャンプバックし、両手の力だけで身体を棒状に保 ちます。この時、顔は少し上げた状態にします。

5th Vinyasa –Nasagra Dristi- Puraka 息を吸いながら、腕に力を乗せて身体を前方に起こします。腰を反って脚を力 強く真っ直ぐに保ち、足の甲で床を押して身体を支えます。

6th Vinyasa –Nabhicakra Dristi- Recaka 息を吐きながら腰を持ち上げ、かかとで床を押し、頭を胸側に傾け、お腹を強 く締め込み、おへそに目線を定めます。

7th Vinyasa –Angustagra Dristi- Puraka 次に息を吸いながら右足を両手の間にもってきます。その足で床を押し、膝を 曲げ、左脚は腿と膝を真っ直ぐにして後方に伸ばし、腕は頭上に真っ直ぐに伸 ばして両手を合わせます。胸を膨らませ、頭を少し後方にもたげ、指先に目線 を定めます。

8th Vinyasa –Nasagra Dristi- Recaka 4番目のビンヤサと同様です。

9th Vinyasa –Nasagra Dristi- Puraka 5番目のビンヤサと同様です。

10th Vinyasa -Nabhicakra Dristi- Recaka 6番目のビンヤサと同様です。

11th Vinyasa –Angustagra Dristi- Puraka 7番目のビンヤサと同様ですが、左足を前にします。

12th Vinyasa –Nasagra Dristi- Recaka 4番目のビンヤサと同様です。

13th Vinyasa –Nasagra Dristi- Puraka 5番目のビンヤサと同様です。

14th Vinyasa –Nabhicakra Dristi- Recaka 6番目のビンヤサと同様です。

15th Vinyasa –Nasagra Dristi- Puraka 3番目のビンヤサと同様です。

16th Vinyasa –Nasagra Dristi- Recaka 2番目のビンヤサと同様です。

17th Vinyasa –Angustagra Dristi- Puraka 1番目のビンヤサと同様です。

Samasthitih に戻ります。

スリアナマスカラ B のビンヤサ、レーチャカ/プーラカは、スリアナマスカラ A のものと同様です。違いは、1、7、11、17番目のビンヤサのみで、そ の他に変化はありません。既に述べたように、偶数番のビンヤサはレーチャカ (吐く呼吸)、奇数番はプーラカ(吸う呼吸)を示します。

練習を行う人は、これらの実践方法を経験あるグルから習うことを心がけて下 さい。また、スリアナマスカラやアサナにおいて、Kumbhaka(クンバカ=呼吸 の静止)は発生しないことを覚えておいて下さい。上述しましたが、経典にあ る伝統ルールに則ってスリアナマスカラを実践するにあたり、常にドリシュテ ィ(目線)、バンダ、ディヤナ(瞑想)、レーチャカ/プーラカを意識するこ とを忘れてはなりません。そしてスリアナマスカラを行った後、パドマアサナ (蓮華座)で礼拝や宗教的儀式行います。アサナの練習をする方は、先ずはス リアナマスカラを最初に行ってください。これは決められたルールです。この ルールに従う事で、練習に求めるものが成就するでしょう。

以上で、スリアナマスカラに関する項目を終了します。

INTERVIEW

Sunaad Raghuram (SR): スリアナマスカラに込められた意味と、ヨガの練習に おけるその重要性についてお聞かせ願えますか?

Sri K. Pattabhi Jois(SKPJ): スリアナマスカラとは太陽への究極的な礼拝であり、 これなくしてアシュタンガヨガはありえません。ヒンズーの哲学では、太陽は 命を与えるもの、そして地球上の全ての生命を護るものとして尊ばれています。 生命を健康で満たし、その光で照らす大いなる存在です。 スリアナマスカラを行う際に、このサンスクリット sloka(韻律)—P38 斜文字 を参照(訳:賢者、知識ある者、昇り暮れる太陽に敬意を捧げ、完全な善を得 る)—を暗唱すると、神経系に直接作用をもたらし、血液のみならず精神をも浄 化します。これこそが、スリアナマスカラを朝と夕方に行うべきだという理由 です。これを適切に行うことで—上記 sloka を念じながら—、いかなることをも実 現し得る精神状態に辿り着く事が出来ます。集中力が最大限に高まったこの崇 高な状態は、精神と肉体に強さをもたらし、定めた人生の目的を達成する道標 となるでしょう。

SR:あなたは以前、Aruna Prasna をスリアナマスカラについて述べた原本とし て挙げていましたね?Aruna Prasna とは正確には何なのでしょう?

SKPJ:Aruna Prasna とは、高次元の精神集中を求めた神への祈りで、この世に おける聖への追求の基礎となるものです。Krsna Yajur Veda の中にはこのよう なマントラがあります;P39斜文字を参照(訳は以下)

これが、太陽神に関する長いマントラ、Aruna Prasana のオープニング箇所で す。Aruna という言葉は、太陽が東の空に昇り世界が黄金色に染まる時間を表 すものです。ヒンズーの信仰では、太陽神は荷馬車に乗って夜明けの空を駆け るとされています。マントラの中にある言葉、bhadram karnebhih srnuyama devah, これは、唱える者に善なる事だけが聞こえるようにと願ったもので、こ れに続く、bhadram pasyemaksabhir yajatrah、は、善なるものだけが見えるよ うにと、神に乞うものです。次の sthirairangais tustuvagumsas tanubhih は、“神よ、私の身体を強く逞しくしてください。それにより、幸福で神聖な言葉のみ を口にする力を持ち、その言葉の価値が揺らがないように”、との願いが込め られています。そして、uyasema devahitam yadayuh とは、“神よ、あなたの 徳を永遠に賞賛するための長寿を授けてください”という意味です。

私が子供の頃は、その幼さから神について深く考えることはなく、青年期には 家族のことで頭がいっぱいな日々を送りました。しかし就寝時には現実から自 分を切り離し、その先の人生の全てを神について考え、賞賛することが出来る ようにと願いました。 マントラは、長寿、無病、精神の静寂、集中力、深い洞察力、揺らぎの無い精 神、そして心身の完全な整合を求め、更に続きます。Aruna Prasna は 133 の anuvaka(チャンティング)から成っており、それぞれが 10 節で構成されてい ます。1節がビンヤサ1つと同調しており、結果として、1 つの anuvaka が1 度のスリアナマスカラと等しくなっています。しかしながら、スリアナマスカ ラを行うにあたり、このマントラを言葉で発する必要はありません。呼吸のリ ズムを崩してしまうからです。その代わりにマントラを暗記し、心の奥でそれ を唱えれば良いのです。これによって、スリアナマスカラをマントラの朗読で はなく、瞑想として行う事が出来るのです。 上記マントラは、スリアナマスカラ A に対するもので、B には Rg Neda を発祥 とする別のマントラが存在します。これについて詳細はわからないのですが、 hrdrogam mama suryah harimanam ca nasaya というマントラが存在し、意味 としては、心に問題のある者は誰でも、スリアナマスカラを行う事でそれを治 癒出来る、というものです。ari とは敵という意味で、ここでは arisadvarga;人 間の内なる6つの敵、を指しています。これらは外敵のことではありません。 実際のところ、外敵とは arisadvarga=内なる敵から生み出され、私達が内に持 つもの、心の声が伝えるものが目の前に現れ対峙を強いられるわけです。敵と はいかにして敵となり得るのでしょうか?内なる敵が外敵となって現れるので す。そして、その敵とは、kama(欲望)、krodha(怒り)、lobha(卑しさ)、 moha(妄想)、mada(高慢)、matsarya(妬み)、そして上記のマントラは、 これらを打ち崩すためのものなのです。この6つの敵を打ち崩すことに成功す れば、心の病は消え去ります。 

また別のマントラはこう説きます;P41斜文字を参照 このマントラが意味するのは;アシュタンガヨガの重要な根本の1つとは、神 の意志を、私達を取り囲む全てのもの —生あるもの、そうでないもの両方— に 宿る神性として見出すチカラである、という事です。あなたの目に映るものは 全て、それ即ち内なるあなた自身。あなたが耳にする事、それも内なるあなた 自身なのです。

SR:samantrika と amantrika の読経方法について教えてください。 SKPJ:ヒンズーの様々な書物が示すように、神聖さを求める読経法には2種類 あります。その1つが samantrika で、マントラを伴うという意味です。そして amantrika は、マントラを伴わず、という意味です。samantrika とは、関連した マントラを伴う儀式のことを指します。それらのマントラは正確なイントネー ションと音調、決められた言葉と発音に乗せて唱えるもので、それらの決まり は厳格です。それを守らなければ、元来込められた意味が変わってしまい、マ ントラが全く別の内容となってしまうからです。そのような実例が、ヒンズー 神話の中にたくさん存在します。 amantrika については、先ずは全ての Purana sloka(韻律)を暗唱し、そしてス リアナマスカラを行うこと、とされています。実は、Aruna マントラと Purana sloka の持つ意味は全く同じで、つまりマントラを正確に唱えることが出来る僧 侶等は samantrika を行い、そうでない者は Purana sloka を暗唱すれば、内容的 には同等のものとなります。もちろん、全ての人がヴェーダの教えに精通して いるわけではありません。しかし、そういった人達も、正式にヴェーダの教え を受けた人達と同様に神に祈願することが出来るのです。つまり、厳格な決ま り通りにマントラを唱える事が出来ないのなら、amantrika を行えば良いのです。 amantrika は全ての sloka を内包し、そこには Aditya Hrdayam を含め厳格なイ ントネーションの決まり等はありません。

SR: 伝統的な Aditya Hrdayam の祈祷とは、どういったものですか? AKPJ: 伝統的には、こういった祈祷は先ず心で学び、そしてチャンティングを 行います。そしてチャンティングを行った後、呼吸法に準じたビンヤサを伴っ てスリアナマスカラを行う、とされています。マントラが持つ全ての効果は、 呼吸に含まれています。呼吸する際は通常、吸う息に吐く息が続きます。この流れを1つのマントラとして捉える事が出来ます。vayu という種類の力があり、 これは呼吸の中に存在します。そしてこの力がマントラにも込められているの です。呼吸が出来なければマントラを唱えることは出来ませんし、sloka を口に する事もできません。呼吸無しには、どんな言葉も発せないですよね?従って、 マントラは呼吸と合わせる事が必要で、それが呼吸を一定に保つべき理由です。 —吸う息と吐く息は同じでなければならない―バガバッドギータにもこうあり ます。prana と apana が等しい時にのみ、マントラが正確なものとなるのです。

SR:Aditya Hrdayam の発祥とは? SKPJ: Aditya Hrdayam は、Ramayana(叙事詩)にある有名な祈祷です。 Ramayana のクライマックスで、Rama と Ravana の壮絶な戦いが起こります。 Ramaの放つ矢は繰り返し命中し、Ravanaの頭を何度も身体から切り離します。 しかし、頭はその度に身体に戻って、Ravana は死にません。その理由は、Ravana の妻であり徳の高さで知られる Mandodari の法力が、Ravana の命を守ってい たからです。他に Ravana を倒す手だてが無いかと途方に暮れる Rama に、博 識の賢者 Agastya が助けを授けます。“矢を抜いて構える時、全能なる Aditya Hrdayam を唱えよ。それにより、Mandodari の力を消す事が出来る”、Agastya は Rama に言いました。そこで Rama は Aditya Hrdayam を唱え、高次元の精 神集中を得たのです。放った矢は急所に命中し、ついに Ravana は息絶えまし た。

SR: 幾多の寺院が様々な神や女神を祀るインドにおいて、太陽神を祀る寺院が わずかしか無いのは何故でしょうか? SKPJ: 皆が知っているように、太陽とはこの星の全ての命の基礎であり、私達 の生死を司るものです。その慈悲深く命を与えるぬくもりが無ければ、生命は 存在出来ません。太陽の光、特に日中の暖かさや熱が私達を生かします。そし て神としての太陽は、私達の生活に偏在します。太陽は視覚で見ることができ ますから。しかし、他の神は違います。彼等は人間の目には見えません。よっ て寺院が彼等を司り、祀られる偶像に儀式を捧げるのです。一方、私達は太陽 を目で見る事が出来ますから、それを祀る寺院が少ないのです。

SR: チャンティングに加えて、vayu がスリアナマスカラにもたらす恩恵とは?

SKPJ: vayu とは呼吸の中に存在する微細な力で、それは神なるもの。事実 vayu とは神そのものであり、呼吸をすればそこに神が在るのです。ご存知の通り、 呼吸が無ければ、人は死んでしまいます。sastra はこの命の真実を見定め、そ の全ての重要性を讃えています。適切な呼吸がヨガの実践に不可欠なのは、呼 吸が精神を落ち着け、健全な意識を浸透させるからです。それが無ければ意識 は分離され、呼吸パターンに深刻な影響を与えます。適切な呼吸の根源とは、 心の乱れや怒り、不安定さが無い、完全な精神状態を保つことにあります。前 述しましたが、バガバッドギータは一定の呼吸の大切さについて説いています。 例えば、もしも10秒息を吸うなら、同じ長さで息を吐くべきなのです。そう することにより、身体の均衡を保つ事ができます。 話を終える前にもう一度強調しますが、ヨガとは老若男女、健康な人、病める 人、全ての人々の為にあります。ヨガをしたいという気持ちさえあれば良いの です。練習を邪魔するのは、怠慢や興味の欠如のみ。それが真理なのです。

翻訳 Kenji Fukuhara